明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2403)三田茂医師講演-「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性、共通性(5月12日)にご参加を!

2024年04月08日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240408 23:30)

連載2400回越えに際してカンパをお願いしています。よろしくお願いします。
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalからもカンパができます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

京都「被爆二世・三世の会」年次総会記念講演に三田茂医師をお招きします

5月12日(日)に、僕も世話人として参加している京都「被爆二世・三世の会」の年次総会を行います。
総会は午後1時半から2時半まで。このあと岡山在住の三田茂医師をお招きし、以下のタイトルで記念講演をしていただきます。

「原爆ぶらぶら病」と『能力減退症』=被爆者と『新ヒバクシャ』その類似性、共通性
-被爆・被曝の新しい理解・病悩の解決の可能性

日時 総会午後1時30分~2時30分 記念講演2時半~4時半
会場 ラボール京都・第12会議室(阪急西院駅そば) & オンライン(ZOOM)のハイブリッド開催
参加費 無料

なお総会もどなたでもご参加いただけます。

お申し込みはこちらから 
https://forms.gle/6sN6kL1e2muc3vKh7


被爆二世・三世健康調査を踏まえて、三田さんに話していただきます

今回の記念講演会をどのような趣旨で行うのか。ここにチラシの呼びかけ文を転載します。

*****

京都「被爆二世・三世の会」は2020年から被爆二世・三世を対象にした健康調査アンケート(2回目)を進めてきました。
すでに二世だけで100人以上の回答を得て、この春「アンケート結果報告書」をまとめました。

このアンケートを進める際に助言をいただいた三田茂医師に送付しました。
三田茂医師は東京都小平市で内科医院を営まれていたときに福島原発事故に遭遇、ただちに東京の子どもたちの被曝影響を調べ始められた医師です。
やがて福島原発事故で被曝した方を『新ヒバクシャ』と命名、そこで起きていることを『能力減退症』と定義しつつ、その治療法も見い出し、たくさんの新ヒバクシャを救ってこられています。


2016年11月にも京都「被爆二世・三世の会」で三田さんをお呼びして講演会を開催 写真はIWJ撮影動画より

その三田医師が私たちの報告書を読んでこう語られました。
「『新ヒバクシャ』との類似性、共通性に驚いた」「かなりの高率で治療できる、症状を軽くできるという確信を得た・・・・・」。

そこで今回、三田医師を総会にお呼びし、これらの点や被爆・被曝に関する新しい理解と、この苦しみの解決の可能性についてお話しいただくことにしました。
ご講演から、みなさんとともに、被爆・被曝の苦しみを力強く越えていく可能性をつかめればと思います。ぜひご参加下さい。


論文-『新ヒバクシャ』に『能力減退症』がはじまっている-にご注目を!

三田さんは上記のタイトルの論文を、2018年2月18日に発表されています。
僕はこれを同年2月28日に「明日に向けて」に掲載しました。以下に記事を貼り付けますので、ここからぜひ三田さんの論稿をお読み下さい。

明日に向けて(1476)『新ヒバクシャ』に『能力減退症』が始まっている(三田茂医師)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c35c335cf8369612b965566c61a0b28a

三田さんはその後、ご自分の見解を動画でも発表しています。
三田医院のホームページに掲載されています。(http://mitaiin.com/)


三田医院ホームページトップ画像より

この中からトップに掲載されているものをご紹介します。
他にも何本か追加の動画がアップされているので、それらもご覧下さい。

三田さんのこれらの見解は相当に画期的。ぜひ多くの方に知っていただきたいです。
ぜひ5月12日の企画にご参加下さい。

お申し込みはこちらから 
https://forms.gle/6sN6kL1e2muc3vKh7

#新ヒバクシャ #能力減退症 #原爆ぶらぶら病 #三田茂 #三田医院 #京都被爆二世三世の会 #被爆の遺伝的影響 #福島原発事故 #被爆二世三世健康調査アンケート #被爆と被爆の新しい理解

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明日に向けて(2402)国会事故調の聴き取りで福島1号機の地震による配管損傷がより鮮明に-(『福島第一原発事故の「真実」』の読み解きから-その6)

2024年04月04日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240404 23:30)

連載2400回越えに際してカンパをお願いしています。よろしくお願いします。
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalからもカンパができます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000


さて『福島第一原発事故の「真実」』(講談社文庫)の読み解きの続きをさらに続けます。
以下のスピーチでも触れています。8分30秒~16分50秒ぐらいです。

前回(2399)はこのNHKの書がほとんど取り上げていない点、福島原発は津波の前の地震で配管破断を起こしていたのでは?という重大なポイントを取り上げました。
これは事故直後から、元日立の圧力容器設計者・田中三彦さんが指摘されていたことです。田中さんは1号機の原子炉圧力が地震後に急激に落ちたことから配管損傷の可能性に気が付いたのでした。NHKの書からもそれがうかがわれる点が読み取れます。
今回はその後に田中さんが、国会事故調に参加して行った調査を踏まえてさらに追及している点に触れます。


国会事故調の聴き取りで配管損傷がより鮮明に

田中さんはその後、2011年12月8日に発足した「国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」に参加され、当時1号機で現場作業にあたった方からの聴き取りを行いました。
その際、注目したのは地震後自動起動したものの、運転員によって止めたり動かしたりされいた非常用復水器(イソコン)のことでした。「55℃以上、下がらないように」とのマニュアルがあって止めたり動かしたりしたというイソコンのことです。

しかし聴き取ってみると、実際には55℃など問題にもなっていなかった。それよりも運転員は、イソコンが立ち上がった時、圧力計を見ていてわずか11分の間に、70気圧から46気圧まで落ちたことに驚いたそうなのです。一気に24気圧も落ちた。
それで「どこかで漏れているんじゃないかと思った」というのです。配管損傷を心配した。それで「一度、止めてみたい。確かめたい」と現場責任者に問いかけ「いいですよ」と言われた止めたのです。なおこれらの点は以下の動画で解説されています。

2012 8 5 国会事故調 伊東良徳・田中三彦 講演会
https://www.youtube.com/watch?v=HtaEsOdkFV8

配管損傷の可能性を示唆した田中三彦さんプレゼン画像より


建設中のマークⅠ型格納容器の写真。たくさんの配管のための穴があることが分かる 田中三彦さんプレゼン画像より

田中さんはさらに1号機の「主蒸気逃がし安全弁」(SR弁)の「動作に伴う音を聴いた運転員がいないこと」=SR弁は開いてなかったことも聴き取りによって突き止め、ますます配管損傷の可能性が濃厚であることを突き止めています。
その上でさらに田中さんは、1号機で起きた水素爆発のあり方に着目し、ここから配管損傷のよりはっきりと論証しておられます。

というのは東電は「1号機の水素爆発は5階フロアで起こった」と述べているのですが、現場の写真を見るとどうみても4階で起こり、続けて5階で起こったとしか見えないのです。
そしてその4階にイソコンのタンクが設置されていた。そこに原子炉から直接に配管が伸びているのですが、そこで破損が起こって水素が4階に充満し、それ自身の熱で爆発を起こしたと考えられます。この点は以下の動画で説明されています。

20130921 福島第一原発1号機原子炉建屋4階の激しい損壊は何を意味するか
https://www.youtube.com/watch?v=90kCsgJwQXY


4階がメチャメチャになっていることを示しここで爆発があったことを指摘する田中三彦さん

4階には非常用復水器(イソコン)がありここへの配管が損傷して水素爆発が起きた可能性が高いことを指摘する田中三彦さん

 

水素爆発は大危機でありながら未解明

これらを調べながら、さらに田中さんは、そもそも水素爆発がどのように起こったのか、水素がどこから漏れ出し、どう溜まったのかも未解明であることの危険性も強く指摘されています。
1,3,4号機と続いた水素爆発で、1,3号機の格納容器も4号機プールも結果的に崩壊しませんでしたが、それはたまたまの結果でしかない。設計者は直近で起こる水素爆発に耐えることなど、まったく考えずに格納容器を設計したからです。

ようするに3回にわたる水素爆発が、大破局につながらなかったのも、まったくの偶然の産物でしかなかったのです。次の同じような爆発があったら、今度はその時に格納容器が破壊されてしまうかもしれない。
しかし水素が原子炉からどのように漏れて、どう溜まり、なぜ爆発したのかについても分からないことが多い。したがっていま稼働中の原発は、水素爆発対応などまったくできていないのです。

ましてや津波以前に地震で配管損傷が起きていたことが濃厚なのですから、耐震性の見直しが急務ですし、それを実行すればただちに日本中の原発な止めなければなりません。そうでなければ私たちの安全は確保できないのです。
NHKメルトダウン取材班は『福島第一原発事故の「真実」』で数々の重大事実を示してくれましたが、残念ながら、地震によって原発が壊れたこの重大な「真実」は明らかにできていない。この限界を越えて欲しい。この点をもっと大きく広めなければです。



水素爆発を起こした福島1号機と3号機 格納容器破壊に至らなかったのはまったくの偶然だった


奈良駅前発言とこの間の記事から新たな冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年の新事実を踏まえて~』です。
以下が申し込みフォームです。(1部500円送料200円、4月20日発行予定・・・すいません。予定が伸びていますが必ず出します)
https://forms.gle/zAznq9s5gZneygWK8

#原発再稼働反対 #福島原発事故13年 #福島第一原発事故の真実 #格納容器破損 #地震で配管損傷が起きていた #田中三彦 #国会事故調 #SR弁 #配管損傷を心配してイソコンを止めた #イソコン #水素爆発 

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明日に向けて(2401)連載が2400回を超えました。脱原発そしていきづまった現代社会を越え出ていくための活動にカンパをお願いします

2024年03月30日 11時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です( 20240330 11:00)

311以降、2446本の記事を配信しました!

「明日に向けて」、今回の投稿で2400回を超えました。

第1回の投稿は2011年3月26日。それまで「東北地方太平洋沖地震について」等のタイトルで46本配信したので合計2446本になります。
この13年間、原発と被爆・被曝問題を軸に、社会の現実と切り結びつつ、様々な発信を続けて来れました。多くのみなさまの支えがあってこそです。ご支援に深く感謝いたします。
今回、この活動の継続と新たな展開に向け、さらにみなさんにカンパを訴えます。振込先を記します。どうかよろしくお願いします。

振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalからもカンパができます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/5000


ホームページトップ画像より 北アルプス奥穂から西穂に向かう途上にそそり立つジャンダルム 写っているのは当時の仲間たち 守田撮影


原発を支えているのは「特定の思想の枠組み」

この機会に僕が目指しているものを書き記しますが、実はこの間、感慨深いことに突き当たりました。そのことから紹介します。
この間のNHKの書の連載の中でのことなのですが、この書、かなり重要な新事実がつまっているものの、ある大切なことに触れていない。福島原発が津波の前の地震によって配管損傷を起こし、メルトダウンにいたった可能性が高いことにです。
この点を把握したのは2011年3月26日の原子力資料情報室における田中三彦さんの会見においてでした。それで今回、田中三彦さんの以下の動画を拝見したのですが、そこで深い共感に遭遇しました。

もっかい事故調オンラインセミナー第10回(2022年12月16日19時~)
https://www.youtube.com/live/EuYwCo126FE?si=YT5qUMHD1C1pcr6w

この2部「原発を支えているものは何か」(1時間47分~)の中で田中さんは次のように述べておられます。
「今日までそれ(守田注:原発)を存在させてきたのは、われわれが意識的に、あるいは無意識的に選択してきた「特定の思想の枠組み」(パラダイム)の投影だ」。だから私たちは「みずからのライフスタイルを根本から問い直す作業」が必要だ・・・。
しびれました!僕もまったく同じように考えて行動してきたからです。現代社会の「特定の思想の枠組み」のパラダイムチェンジこそ必要であり、僕もそのためにも「明日に向けて」を書き続けてきました。


吉福伸逸さんとの対話の中で

田中さんの話、さらに驚きに満ちていました。田中さんは1968年に(株)パブコック日立に入社され、原発の設計に従事したのち1977年に退社されたのですが、その後にたくさんの本の翻訳をされています。
F・カプラ『タオ自然学』『ターニング・ポイント』、A・ケストラー『ホロン革命』などですが、吉福伸逸さんという無二の親友となられた方との共訳が多い。吉福さんは2013年に亡くならましたが『仏に逢うては仏を殺せ 吉福伸逸とニューエイジの魂の旅』(稲葉小太郎著 工作舎)という伝記が出ています。

さっそく取り寄せて読みましたが、吉福さん(1943年生まれ)は、1960年代後半からアメリカで強まっていった「カウンターカルチャー」を、翻訳などを通して次々と日本に紹介された方です。
当時、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまっており、多くの人々がそこに西洋文明の限界を感じて変革を求め、アメリカ先住民族の知恵や東洋思想に注目しだしていました。

例えば『タオ自然学』の著者、F・カプラは「パリ大学で高エネルギー物理学の研究をしていたときに鈴木大拙の著作と出会い、先端科学の理論と東洋思想の符合に驚き、いきすぎた物質主義・要素還元主義に警鐘を鳴らすべくこの本を書」いたのだそうです。(伝記52ページ)
それらのさまざまな問いを、吉福さんや田中さんは「精神世界」というワードでくくりつつ、現代社会の行き詰まりの超克を目指されたのです。お二人の活動に深く共感し、一気に訳書などを集めました。


真ん中の書が吉福さんの伝記、両側にあるのは吉福・田中他の訳本


左 吉福さんをはじめカウンターカルチャーを志向する人に多大な影響を与えて「ドンファンの教え」に関する本
右 田中さんが吉岡さんと訳されたF・カプラの『ホロン革命』


廣松渉さんとの対話の中で

実はこうした志向性、僕自身の歩みと強くシンクロします。僕は高校3年生で社会運動に飛び込み、マルクスを学び始め、哲学者廣松渉さんに惹かれて多くの点を学びました。
廣松さんはマルクスの思想を読み解いて、その骨格にはあるのは、近代からのパラダイム・チェンジだと強く述べられたのです。そのために自らも根本的に問うことが求められる。対象と自己の同時変革が課題なのです。

廣松さんはそんなマルクスの思想が『ドイツ・イデオロギー』という書で開花したと強調するのですが、マルクスはこう書いています。
「この共産主義的自覚(守田注:社会を変革せねばらなないという根本的自覚)の大規模な産出のためにも、また目的とすることそのものの達成のためにも、大群の人間たちの変化が必要である。こうした変化はただなんらかの実践的運動、なんらかの革命においてのみ、おこりうることである。
したがって革命は、支配階級が他のどんな仕方によっても打倒されないことからだけ必要なのではなく、打倒する階級が、革命においてはじめて、すべてのふるい身の汚れをぬぐいおとして、社会のあたらしい基礎をつくる力を身につけるところへと達しうるからこそ必要なのでもある」(『同書』合同出版79ページ)

そうだと僕は思うのです。近代社会は戦争を繰り返してきていて、その暴力の頂点に核体系があります。それを変えたいわけですが、そのためにはこれを存立させていて、私たちの思考の中にも入り込んでいるパラダイムをチェンジしていかなくてはならない。
廣松さんはそのパラダイムの成り立つ仕組みを「世界の共同主観的存在構造」として描き出し、変革の可能性を訴えたのですが、僕には吉福さん、田中さんが問題にされてきたとそれとの強い繋がりが見えました。


廣松哲学の核心が詰まっている『世界の共同主観的存在構想』 お勧めですが難解です・・・


現代社会のパラダイムチェンジのもと、核なき未来をつかみたい

さらに伝記を読み進め、吉福さんの周りに集っていた方たちにも驚きました。宮田雪さん、星川淳さん、浜田光(アパッチ)さん、槇田きこりさん、山田塊也(ポン)さん、澤村浩行(サワ)さん、そして田中三彦さんなどの名が出てくる。
ビックリしました。これらの方々はいずれも僕が311後に出会って、なにがしかの恩を受けた方たちだからです。(宮田さん、山田さんとは生前にはお会いできませんでしたが)


こんなの見つけました!左がきこりさん、右がサワさん
https://youtu.be/vpF0CIcvBE8?si=WJSkEra0uydIH7I2

僕は311直後に、福島原発の危険性を説き「逃げて下さい!」とメールで発信し続けました。50人ぐらいの友人に送ったものをどんどん拡散していただいたのですが、それを担って下さった一人が槇田きこりさんで、メールを受けて東日本を飛び出してくれたのが蝦名宇摩さん、小岩井維摩さん姉妹とそのご家族などでした。
津軽三味線の師匠でもある蝦名宇摩さんは、岡山県に移住し、各地で演奏を行って生計をたてつつ、瀬戸内市に関東の方たちを招いた保養キャンプを毎年行って来ました。小岩井維摩さんもパートナーの竜二さんとともに「オぷスト」という石窯天然酵母パン屋を開き、ヨガインストラクターも担いながら、やはりキャンプを支えて来ました。


せとうち交流プロジェクトHPより
http://setouchi-kouryu-project.com/

まさに今もキャンプが始まっていて、僕も明日31日夜から合流するのですが、その宇摩さんと維摩さんは、山田塊也(ポン)さんの娘さんです。そのポンさんや吉福さんと親しかったきこりさんが、僕の言葉を拡散して下さっていたのです。
ちなみに京都では僕は、こうした方々にも縁が深い廣海ロクローさんと事故一週間後に出会い、その後、カウンターカルチャーの志向性を強く持った方に次々出会わせてもらえましたが、それがまたこのラインナップの方たちとつながっている。


ロクローさんに誘っていただいて登壇した山水人(やまうと)のステージから 2015年9月

一方で同時に僕は、ネットで福島原発のいまを精力的に説いていた元東芝の後藤政志さんを知り、そこから田中三彦さんも知ったのですが、後藤さんも現代の技術のあり方を根本的に問うムーブメントの中におられた方でした。
ようするに現代社会を問い、自分自身も問う道を歩まれてきた多くの方たちと、僕はどんどんお会いしていた。しかもまるで昔からの知己のように。みなさん、いつも温かくして下さったけれど、大きく志向性を共にしていたからだったことが分かりました。

このムーブメントをもっと強めます。そのために今後、この間学んだことを書籍にまとめる作業に注力します。ぜひお支え下さい。また支えて下さることから、あなたもこの歩みを共にして下さい。一緒にパラダイムチェンジへと進みましょう。

#原発再稼働反対 #原子力資料情報室 #田中三彦 #吉福伸逸 #槇田きこり #蝦名宇摩 #小岩井維摩 #廣海緑朗 #後藤政志 #パラダイムチェンジ

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明日に向けて(2400)福島1号機は本当は配管破断によって危機に陥ったのではないか?-新たに見えてきた福島原発事故の真実(『福島第一原発事故の「真実」』の読み解きから-その5)

2024年03月25日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20240325 23:30)

『福島第一原発事故の「真実」』(講談社文庫)の読み解きの続きです。
3月10日のJR奈良駅前スピーチでもこれに触れています。8分30秒~16分50秒ぐらいです。

前回は、1号機が冷却できないままメルトダウンに至り、危機を進行させてしまったこと、その際、イソコンという冷却装置に吉田所長らが翻弄されたことを見てきました。
さらに吉田所長の奇策として始まった消防車注水が、まったく成功しておらず、12日間も冷却できずに核燃料が格納容器に落ちてダメージを与え、損傷させてしまったこと。そのまま破局には至らなかった原因が未解明なことを見てきました。
今回、さらに1号機は津波による電源喪失より先に、地震で配管損傷していたのではないかという重大な点を論じます。なおこれは『福島第一原発事故の「真実」』では取り上げられていない点です。


田中三彦さんが指摘する配管損傷による冷却材喪失

東電は福島原発事故を深刻化させたものを津波としていますが、これをひっくり返す上述の指摘が事故直後よりなされていました。
行ったのは元日立の圧力容器設計者でサイエンスライターの田中三彦さん。2011年3月26日に原子力資料情報室の記者会見で発表されました。僕はこの時「明日に向けて」に田中さんの見解の要約とノートテイクを載せたのでご紹介します。

明日にむけて(5)冷却材喪失事故=大事故の可能性が隠された? 2011年3月28日
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c587a4b12542da359d0ea03a16079ab4


原子力資料情報室の記者会見で講演する田中三彦さん 2011年3月26日 JUNS STUDIOより

田中さんが注目したのは、運転時には70気圧もあった原子炉圧力容器が、12日午前2時45分に8気圧まで落ちていたこと。代わりに格納容器の圧力が通常の1気圧から8気圧にまで上がり、危機を感じた吉田所長がベントを決断しました。
同時に吉田所長は消防車を使った注水を試みましたが、この際、1号機に特徴的なのは、2号機、3号機では苦労するSR弁を開けて圧力容器内の圧力を下げる作業がなかったことです。

それでどうして圧力が急激に下がったのか。田中さんはそこで「原子炉から出ている幾つかの配管のどれかが損傷し、冷却材喪失が起きた可能性がある」と指摘されたのです。
これは重大な問題を含んでいます。地震による配管損傷で冷却材を喪失した事実は、原発の耐震性が足りてないことに直結するからです。全ての原発の見直しが必要であり、耐震性を上げて作り直した原発以外は動かしてはならないことになります。


後に国会事故調に参加し原発の耐震性の問題を明らかに IWJ 20130302 より
原子力発電の問題点とこれからを考える 田中三彦氏・後藤政志氏講演 | IWJ Independent Web Journal


『福島第一原発事故の「真実」』にも配管損傷の可能性が垣間見えている

今回、NHKの書を読み込んでも、残念ながら田中さんのこの重大な指摘が反映されてないのですが、しかし同書にはこんなことも書かれています。
「中央制御室では、1号機の原子炉圧力低下のスピードが速すぎると思っていた。原子炉の温度低下のペースも速かった。マニュアルでは、イソコンを作動させた後、1時間あたり55℃以上のペースで温度が下がる場合は、停止することになっていた。急激に冷やされることで鋼鉄製の原子炉や周囲の金属が収縮して部材に悪影響を与えるのを防ぐためだった。」(『同書』ドキュメント編32ぺージ)

一方この少し先にこんな記述が出てきます。「原子炉停止から、40分後。およそ300℃だった原子炉の温度は、180℃まで下がった。原子炉は、順調に冷却されていた」(同33ページ)
おかしくはないでしょうか。先に「1時間あたり55℃以上のペースで温度が下がる場合は、停止することになっていた」はずなのに、40分で120℃も下がりながら「順調だと思っていた」というのです。矛盾しています。

さらに『同書』検証編には、こんな記述が出てきます。「圧力計を見ると、およそ8気圧だった。原子炉圧力は11日午後8時台は69気圧だった。原子炉圧力を下げる措置は何もしていなかった。いつの間にか、69気圧が8気圧へと大幅に下がっていたのである。吉田は首をひねった」(『同書』検証編 142ページ)
これもおかしい。本当に吉田所長は「首をひねった」だけだったのでしょうか?圧力が急激に抜けた要因として「配管損傷」を思いつかなかったのでしょうか?


『福島第一原発事故の「真実」』にも1号機原子炉の急激な圧力低下への現場の戸惑いが記載されている

続く

奈良駅前発言とこの間の記事から新たな冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年の新事実を踏まえて~』です。
以下が申し込みフォームです。(1部500円送料200円、4月10日発行予定)
https://forms.gle/zAznq9s5gZneygWK8

#原発再稼働反対 #福島原発事故13年 #福島第一原発事故の真実 #格納容器破損 #地震で配管損傷が起きていた #原発は耐震性が足りていない #吉田所長 #田中三彦 #国会事故調 #消防車の注水は届いてなかった 

*****

核と原発、戦争と社会的共通資本に関する研究、取材、執筆をカンパでお支え下さい!
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalからもカンパができます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000

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明日に向けて(2399)1号機はたちまちメルトダウンが進み、格納容器が壊れ破局寸前だった-新たに見えてきた福島原発事故の真実(『福島第一原発事故の「真実」』の読み解きから-その4)

2024年03月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20240323 23:30)

『福島第一原発事故の「真実」』(講談社文庫)の読み解きの続きです。
3月10日にJR奈良駅前でお話したスピーチの中でもこの点に触れています。動画の8分30秒~16分50秒ぐらいです。

前回は、3号機は注水前にメルトダウンしていてため、注水では冷却できず、メルトスルーが起こり格納容器破損の可能性があったこと。しかしサプレッションチャンバーの水が偶然にも逆流し、冷却ができて破損には至らなかったことをみてきました。
今回は1号機で危機が進行し、格納容器損壊にいたるなど、最も恐ろしい事態が深まっていたことを見ていきます。


1号機は冷却できないままにメルトダウンに向かった

3月11日に福島第一原発が地震と津波に襲われた時、実は最初に危機に陥り、そのまま危機を深刻に深めながら、吉田所長以下、現場の方たちがそれを把握できないまま、破局に向かっていたのが1号機でした。
どういうことかというと、まず1号機は東日本大震災発生の午後2時41分からわずか数時間でメルトダウンしてしまいました。後に行われた解析によれば、午後5時55分に原子炉水位が核燃料の先端まで減り、午後7時29分にメルトダウンが始まっています。
この際、吉田所長らを翻弄させたのがIsolation Condenser=非常用復水器、通称イソコンでした。原子炉内の高温の蒸気を建屋4階の冷却水タンクに導き、そこを配管が通って蒸気を冷やし、水に戻して戻す仕組み。しかも稼働すれば電気を必要としませんでした。


1号機メルトダウン 冷却装置経験者不在はなぜ NHKサイカルjournal 2017.03.21 より
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2017/03/story/special_170321/


イソコンの構造 朝日新聞より

なぜか1号機だけにあって地震直後午後2時52分に自動起動、しかし原子炉の圧力や温度が想定以上に下がりだしました。マニュアルでは1時間あたり55度以上のペースで落ちる場合は停止となっていたため、運転員は弁を閉め、開ける動作を繰り返して調整。
しかし3時37分に電源を失い、稼働と停止を示すランプが消え、イソコンが動いているかどうか分からなくなってしまいます。いやより正確には現場の運転員は停止中と判断していたものの、それが中央制御室の当直長にも免震棟の吉田所長も伝わっていませんでした。
困難を深めたのがイソコンが1971年の1号機の稼働以降、一度も動かされたことがなく、稼働状態を知るものが現場に1人もいなかったことでした。それでその後に電源が回復し再起動されたものの、正常状態がどうか確信が持てず、すぐに停められてしまいます。


1号機メルトダウン 冷却装置経験者不在はなぜ NHKサイカルjournal 2017.03.21 より
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2017/03/story/special_170321/

ところがこれらの過程が吉田所長にまったく伝わらず、吉田所長はイソコンが動いていると思い続けていました。実際にはほとんど稼働せず、炉内はまったく冷却されないまま水-ジルコニウム反応などによりメルトダウンが進行。
これらの過程で、現場は全電源喪失の際に原災法第10条通報を行い、さらに1号機、2号機の冷却状態が分からなくなったため午後4時45分に第15条通報を行っています。原子力緊急事態宣言です。これを政府が記者会見で発表したのは午後7時40分でした。
その時、枝野官房長官(当時)は「原子炉そのものに問題があるわけではございません」と発言しましたが、実際にはその10分前にメルトダウンが始まっていたのでした。しかし誰もこの大危機を把握できていなかったのでした。


消防車注水は届かず12日間冷却ができないまま格納容器が破損していた

1号機はどんどん深刻な状態に陥っていきました。圧力容器内の蒸気が格納容器に漏れ出し、格納容器の圧力も上昇。さらに建屋周辺の放射線値も非常に高くなりだしました。
午後11時50分、一部の電源が回復し格納容器の圧力が見えました。6気圧でした。通常の気圧の6倍で、設計時に想定された最高圧力5.28気圧を上回っていました。吉田所長らはこの段階でイソコンが動いていないと確信。格納容器を守るベントを決断しました。
12日午前2時半には格納容器圧力は8気圧にもなり、いつ爆発するか分からない。ところが電源がなくバルブを手動であけに行かなくてはならない。高線量の中の作業のため「決死隊」を組織しましたが準備に時間がかかり、送りだせたのは午前9時過ぎでした。

しかし決死隊が建屋の中に入ってバルブに近づくと、かなりの線量で検知器が振り切れてしまい断念。続いて遠隔操作でバルブを開けることが試みられ、コンプレッサーを調達して圧縮空気を送り込むなどしてようやくベントができました。午後2時半でした。


ベントのためにAO弁に向かったもののキャットウォークの途中から撤退 東京電力より
120620j0305.pdf (tepco.co.jp)


これと並行して、午前2時ごろより吉田所長の判断で消防車からの注水を行うことを決断。原子炉に向かう配管に消防車を接続し、注水を開始しました。現場は注水とベント「成功」で一息つきました。メルトダウンの進行を把握できないままに。


消防車による注水作業 2011年3月16日 東京電力より

ところが午後3時36分。1号機が爆発を起こしました。原子炉内で発生した水素が格納容器のつなぎ目から漏れ出して建屋内にたまり、爆発したのですが、これは誰も予測してなかったまったくのノーマークの出来事でした。


爆発した1号機 福島中央テレビの無人カメラによる映像より

この爆発で1号機と2号機の間でかなり進んでいた電源復旧作業もすべてご破算になり、現場は失望と混乱を深めました。そしてその中で実は消防車からの注水が、原子炉にほとんど届いておらず、まったく冷却できていなかったのに、そのことが見過ごされてしまいました。
なんとこの事実が把握できたのは2016年9月のこと。事故当時、現場は1号機に続いて3号機が危機に陥ったため、その対応に追われ、1号機の危機は去ったものと考えて、その後12日間も、冷却できないままに放置され、23日の注水再開ではじめて水が入ったのでした。


消防車による1号機原子炉注水の注水量に関する検討 東京電力より
https://www.tepco.co.jp/decommission/information/accident_unconfirmed/pdf/221110j0116.pdf

この間に、メルトダウンした核燃料は圧力容器の底を破って格納容器底部に広がり、ペデスタルと言われる圧力容器を支える部分のコンクリートをすべて溶解させてしまいました。さらに格納容器の鋼鉄の壁を膨張させ、裂け目を作ってしまっていたのです。


日テレNEWSより

衝撃的な事実です。最も恐れられた格納容器破損が実際に起こっていたのでした。場所はサプレッションチャンバーとドライウェルのつなぎ目の下あたりで、いまもそこから高濃度の放射能汚染水が大量に漏れ出していることが確認されています。またペデスタルは鉄筋しか残っておらず、地震の時の倒壊なども懸念されています。
しかし裂け目はそれ以上、破局的に広がりはしなかった。内部の放射性物質が大量に飛び出し、放射線値が高すぎて現場での対処ができなくなる最悪の事態には至らなかったのでした。
なぜそうはならなかったのか。さまざまな仮説が建てられていますが、実はまだはっきりと分かっていないのです。破局をどう免れたのか解明できていない。このことが告げているのは原子力の統御など全くできていないという事実です。撤退あるのみなのです。

続く

奈良駅前での発言の起こしをベースとし、これらの記事を盛り込んだ新たな冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年の新事実を踏まえて~』というタイトル。
以下が申し込みフォームです。(1部500円送料200円、4月10日発行予定)
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#原発再稼働反対 #福島原発事故13年 #福島第一原発事故の真実 #格納容器破損 #水ジルコニウム反応 #吉田所長 #消防車の注水は届いてなかった #サプレッションチャンバー #東日本壊滅

*****

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明日に向けて(2398)新たに見えてきた福島原発事故の真実―3号機は破局に向かっていたが偶然にも最悪の事態を免れた(『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)の読み解きから-その3)

2024年03月18日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20240318 23:30)

『福島第一原発事故の「真実」』(講談社文庫)の読み解きの続きです。
3月10日にJR奈良駅前でお話したスピーチ動画の8分30秒~16分50秒ぐらいにこの点が収録されています。

前回の記事で、注水に失敗し「冷却できない、地獄になる」と現場が恐怖におののいた2号機が、なんと注水できなかったからこそ破局を免れていたことを書きました。
今回は反対に注水に成功し「危機を免れた」たと思っていた3号機で、恐ろしい事態が起きていたこと、それが偶然におさまったことを見ていきたいと思います。


3号機は注水前にメルトダウンしていた

3月11日の大地震とその後の津波の襲来の中、3号機もディーゼルエンジンを失ったものの、1,2号機と違ってバッテリーが健在でした。
それで最初はRCIC(Reactor Core Isolation Cooling system)=原子炉隔離時冷却系が動かされましたが、電源があるためHPCI(High Pressure Cooling Injection system)=高圧注水系に切り替えられていました。70気圧で注水できるシステムです。
ところが13日午前2時過ぎにHPCIのタービンの回転数が落ちてきた。バッテリーが枯渇しだしたためと思われました。このため運転員は2時42分にHPCIを停止させ、軽油で動く消火用ポンプによる注水や消防車注水に切り替えようとしました。

しかし高圧注水が可能なHPCIに対し、消火用ポンプは5気圧でしか注水できない。そのため原子炉を減圧せねばならず、前回も登場した主蒸気逃がし安全弁(SR弁)の開作動が行われました。しかし開かない。弁は8つあるのですがどれも開きませんでした。
原因は同じくバッテリーの枯渇と考えられ、現場はバッテリー調達に奔走しだしました。120ボルトが必要だったため、乗用車の12ボルトバッテリーをかき集め、直列につないで弁を開けようとしました。ところがこれを使う直前に電源復活。弁が開きました。
時刻は13日午前9時8分。その後、9時25分に注水も開始。ほぼ同時刻にベントにも成功。格納容器の圧力も下げることができて3号機は大きな危機を乗り越えたと思われました。

ところがそうではなかった!実はHPCIは手動停止のおよそ6時間前ぐらいには注水できなくなり、水位が下がっていった。これと共に炉内の温度もじわじわ上がり、水が水蒸気に変わりだして圧力も上がっていったのです。
こうして炉内の蒸気量が濃密になるばかりで、やがて水-ジルコニウム反応が始まり、どんどん加速。SR弁開放の1時間ぐらい前にはメルトダウンが始まってしまいました。その後に注水してももはや冷却できず、反応を進めることにしかなりませんでした。
結局、3号機の炉心は激しく溶け続け、午後9時58分に圧力容器から格納容器内へ漏れ出すメルトスルーに至ったと解析されています。そして下部のコンクリートと接して底部に広がるとともに、水素をさらに発生させ14日11時2分の水蒸気爆発へと至りました。

NHKWEB特集 福島第一原発事故 12年目の“新事実”より
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230317/k10014011171000.html


3号機原子炉発熱状況のシミュレーション結果 『福島第一原発事故の「真実」』検証編537ページより


偶然にも冷却がなされていた

3号機はこのように危機を深めるばかりでした。メルトスルーを起こし、溶け落ちた高温の燃料デブリが格納容器にダメージを与えだしました。そのままでは破損させて膨大な放射能が漏れだすところでした。東日本壊滅のシナリオが動いていたのです。
しかしなんとこの時、現場の人々はこの危機に全く気づいていませんでした。結果的に、人々が気づかないままに破局は回避されたのですが、それは格納容器下部にあるサプレッションチャンバー=圧力抑制室の3000リットルの水のおかげでした。
サプレッションチャンバーは圧力容器のSR弁が開かれると放射性ガスが導かれる場です。この水の中にガスが噴き出され、冷やされて蒸気が水に戻るので体積が小さくなり「圧力が抑圧される」仕組みですが、なんとこの水が逆流して冷却材となったのです。


「原子炉の減圧とベントによる注水の流れ」東京新聞2012年8月10日

メルトダウンで格納容器上部=ドライウェルが高圧になったとき、ベントともに格納容器のつなぎ目などから水蒸気が漏れだし、圧力が下がりだしたのです。それでサプレッションチャンバーの方が高圧になり、そこにあった水が押し出されたとみられています。
これがドライウェルの下部にたまり、そこに高熱の燃料デブリが落ちてきた。この段階ではすでに水-ジルコニウム反応も終わっていたので、燃料はようやく冷やされ、格納容器破壊には至らなかったというわけです。
これはまだ仮説なのだそうですが、ともあれこの冷却はまったくの偶然の産物でした。そもそもサプレッションチャンバーには、こんな効果を期待して水が貯められていたのではありません。意図せぬところで働いた現象が「最悪の事態」を防いだのです。

したがってもし同じような事態になったとき、この偶然が再現される保障などあるわけもない。次にはこの国の半分が壊滅してしまうかもしれないのです。
しかもこうした事態に対応する手立てなど、まだまったく作れていません。そもそも事故のあり方がまだまだ解明の途中で、それへの対処方法など、打ち出せる段階ではないのです。
だからこそ、偶然によって破局を免れたこの段階で、もはや原発の運転など止めるべきなのです。危機一髪だった3号機の事態は、そのことをこそ私たちに告げています。

NHKWEB特集 福島第一原発事故 12年目の“新事実”より
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230317/k10014011171000.html

続く

奈良駅前での発言の起こしをベースとし、これらの記事を盛り込んだ新たな冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年の新事実を踏まえて~』というタイトル。
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明日に向けて(2397)新たに見えてきた福島原発事故の真実―2号機は注水に失敗したから危機が深刻化しなかった!(『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)の読み解きから-その2)

2024年03月17日 19時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240317 19:00)

『福島第一原発事故の「真実」』(講談社文庫)の読み解きの続きです。
なお以下の動画の8分30秒~16分50秒ぐらいにこのことを話しています。ただし3号機はすでにメルトダウンが開始された後の注水だったので逆効果だった点をきちんと言えていませんでした。前回の記事でその点を詳述しました。

前回、1,3号機が次々と聞きに陥り、なんとか注水に成功して「危機を超えた」と考えられてきたものの、実際には危機が深刻に進行していたことを書きました。
今回は、では2号機はどうだったのかについて書きます。

2号機は4日目(14日)に危機に陥いり注水を試みるも失敗

2号機は津波による電源喪失の直前に稼働させたRCIC(Reactor Core Isolation Cooling system)、原子炉隔離時冷却系という装置が動いていました。起動すればあとは蒸気の力で動き続けるシステムで、これで4日間、冷却を保っていました。
しかしその動きが弱まってしまい、14日午後1時ごろに停止したと判断されました。それでただちに消防車からの注水とベントが試みられましたが、1,3号機で使った手段を駆使してもうまくいきませんでした。

現場はとにかくベントを優先しようとしていましたが、東電本店と首相官邸からの強い指示のもと、SR弁を開いて圧力容器内の蒸気を格納容器内に送り込むことを優先しました。しかしこの指示に現場は激しく動揺しています。
「圧力容器のSR弁を開けると圧力が下がるものの、同時に内部の冷却水も一気に抜けてしまう。弁を開けると同時に注水できないと空焚きになる。そうなったら地獄だ」と懸念されたのです。

実際はどうだったのか。14日午後6時2分にSR弁を苦労の末に空けましたが、肝心の水が入らない。なんと消防車がガス欠を起こしていたためでした。放射線値が高く人を配置できなくてエンジンをかけっぱなしにしていた車が止まってしまっていた。
現場は大慌てで補給に走りましたが、人力に頼るしかなく再始動まで数時間かかっています。このとき現場の誰もが東日本壊滅の恐怖におののきました。しかも注水再開後もSR弁がまた閉じ、開けるのに苦闘しています。結局、注水は遅れに遅れたのでした。


「原子炉の減圧とベントによる注水の流れ」東京新聞2012年8月10日


実は2号機は注水に失敗したからこそ破局からそれていた

しかしなんと消防車が止まっていたことや、その後にSR弁が閉じてまた注水が止まったことなどが、実は幸いしていたのでした。弁が開いて水が一気になくなり、その後に注水もされなかったため、水-ジルコニウム反応がそれほど進まなかったのです。
このため2号機では、注水失敗から数時間経ってもメルトダウンは起きていません。核燃料の主体であるウランとジルコニウムは、2200度を超えないと溶けないのですが、水-ジルコニウム反応が進まない中ではそこまでの温度に達しなかったのです。

メルトダウンはむしろ約2時間後に消防車への燃料補給を終え、注水を始めた1時間後ぐらいに始まっていますが、それもそれほど激しくは進まなかった。すでにこの間に十分に炉内の圧が下がり、水蒸気量が少なくなっていたためでした。
原子炉内が高圧の場合、水蒸気の密度が高くなり、その分水分量が多くなります。これが水-ジルコニウム反応を激しく進めるのですが、2号機の原子炉はその前に減圧されていたので、水分量も減って反応が激しくはならなかったのです。

しかも2号機はその後、再び弁が閉まってしまい、またも注水ができなくなってしまいました。現場はこの時も大慌てでしたが、このため水-ジルコニウム反応はさらに弱くなり、結果的にメルトダウンを1,3号機に比べて「穏やかな」ものとしています。
要するに現場が必至に「水を入れろ」と奮闘し「入らない。東日本が壊滅する」と恐怖におののいていた時、原子炉内のメルトダウンはむしろゆっくり進み、格納容器崩壊という破局に向かうことからそれていたのです。


2号機原子炉発熱状況のシミュレーション結果 『福島第一原発事故の「真実」』検証編516ページより

続く

なお奈良駅前での発言の起こしをベースとする冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年の新事実を踏まえて~』というタイトルです。
以下が申し込みフォームです。(1部500円送料200円、3月30日発行予定)
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明日に向けて(2396)新たに見えてきた福島原発事故の真実―なんと冷却水がメルトダウンを促進していた!(『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)の読み解きから)

2024年03月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20240316 23:30)

福島原発事故から13年を経た3月10日のJR奈良駅前集会で、スピーチさせていただき、福島第一原発事故の振り返りを行いました。
その際、今年2月15日に出版された『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)に書かれた衝撃的な内容を紹介しました。
以下の動画の8分30秒~16分50秒まで。約8分にわたって話しています。

とても重要な内容なので詳しく書き記します。
なお奈良発言で少しく不正確なところがあったので、記事の中で修正も加えています。ぜひお読み下さい。(何回かに分けます)


『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)の衝撃

この書はドキュメント編と検証編の2冊に分かれていて、それぞれ約350ページと650ページ、あわせて1000ページある分厚い本です。今回、読んでみて非常に驚き、合わせて4回も読み込んでしまいました。
ともあれ何が驚きだったのかというと、あの時メルトダウンした福島原発1~3号機格納容器の中に、カメラを投入して調査したところ、事故の進展がこの間の予想と大きく食い違っていたことが分かってきたのです。

端的に言うとこれまで「1,3号機はなんとかベントできたけれど、2号機は最後までできず破局寸前だった」と言われてきたものの、内部を調べてみたらかなり実態がかけ離れていた。
なんと1,3号機で深刻にメルトダウンが進行していて、「破局寸前」と思われた2号機は、メルトダウンの進行がより「穏やか」だったのす。ポイント冷却のための水が、かえってメルトダウンを促進させていたことにありました。

どういうことか。核燃料棒はジルコニウムという金属で覆われているのですが、この金属が900度を超える高温で水と触れると化学反応を起こし水素が発生します。
それが1,3,4号機建屋の水素爆発にもつながったのですが、実はこの反応のとき膨大な熱も発生させるのです。とくに事故の時、核燃料が冷却水から露出して以降、加速度的にこの反応による熱が高まり、メルトダウンを強烈に進めたのでした。

このため現場が必至になって「水を入れろ」と奮闘した3号機では、すでにメルトダウンが始まった後の注水となってしまったので、冷却どころかかえって水-ジルコニウム反応を加速するばかりでした。
反対に水がうまく入らず、現場が「東日本が壊滅する」と恐怖におののいた2号機では、注水がない間はメルトダウンせず、その後のメルトダウンの進展もより穏やかでした。これらは2023年になってようやく明らかになってきた驚愕の事実です。


1,3号機で危機を乗り越えんとした格闘したが・・・

もう少し詳しく見ていきましょう。福島原発は地震で外部電源を失い、非常用電源が立ち上がりました。この際、配管破断などもあったようですが、51分後に押し寄せた津波によって次々と電源がダウン。たちまち1号機が危機に陥りました。
すぐに圧力容器内の放射性ガスが格納容器に漏れ出し、内部圧力が高まっていった。吉田所長はベントを決断。ベントは「放射能を閉じ込めるための格納容器を守るために放射能を排出する」本来あってはならない処置ですが、その実施を決めたのです。

しかし電源を失っているためベント弁がなかなか開かなかった。決死隊を送って手動で開けようとしたものの、放射線値が高すぎで間際で撤退。その後、あの手、この手を試み、圧縮空気を送り込んでようやくベントに成功しました。(12日午後2時30分ごろ)
一方でこれと並行しつつ吉田所長の発案で消防車による注水が試みられました。消防車は2007年中越沖地震で、柏崎刈羽原発が被災し、変圧器火災を起こしたため配備されていたのですが、1号機はなんとかこれで安定に向かったと思われたのでした。

しかしその後に予期しなかった1号機水素爆発(12日午後3時36分)が起こり、1~2号機の間で試みられていた電源復活作業がすべて台無しに。そんな中でわずかに残されたバッテリーで動いていた3号機の冷却装置がダウン、それでベントと注水が試みられました。
ところが原子炉圧力容器内は70気圧もあり、10気圧にもみたない消防車からの注水では水が入れられない。それで圧力容器の主蒸気逃がし安全弁(SR弁)という、放射性ガスを格納容器に送り込む弁を開けることが試みられましたが、電源がなくてうまくいかない。

乗用車からかき集めたバッテリーをつなぎ、なんとか弁を動かそうとしましたが、その矢先に偶然にも電源が復活。SR弁が開き、原子炉内の圧力が一気に下がり、消防車からの注水が可能になりました。(13日午前9時過ぎ)
さらに1号機で試みた方法で3号機もベントにも成功 (同9時20分)。その後、3号機でも水素爆発が発生(14日午前11時1分)しましたが、それでもなんとか3号機も危機を乗り越えたと思われたのです。

しかし実態は違っていた。なんと1号機は、注水配管の途中で水が分岐して原子炉にまったく届いておらず、3月23日に注水が再開されるまで12日間も空焚きが続いていたのでした。
また注水が成功した3号機でも、実はすでに注水のかなり前からメルトダウンが進行し、水ージルコニウム反応が進んでいたのでした。このため注水はそれを促進させる役割しか果たしませんでした。結局、両機とも深刻に危機を深めるばかりだったのです。
(注記 JR奈良駅前では、3号機に水を入れたからメルトダウンが進行したようにも取れる発言をしてしまいましたが、正確には注水時にはすでにメルトダウンは激しく進行していました。注水はそれを促進させるものでしかなかったのでした)

TEPCO HPの原子炉説明図
https://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/review/review1_2-j.html

続く 

なお奈良駅前での発言の起こしをベースとする冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年を踏まえて~』
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明日に向けて(2395)「いかにして原発を終わらせるのか?次の世代に何を送るのか?」奈良スピーチをお聞きください!

2024年03月11日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20240311 23:30)

福島原発事故から13年、原発反対の思いを新たにして力強く歩もう

本日3月11日で福島第一原発事故から13年が経ちました。この日を前に全国で脱原発を訴える集会・デモが行われています。

僕は9日(土)に京都で「バイバイ原発京都」に呼びかけ人の一人とし参加しました。10日(日)はJR奈良駅前で行われた「原発ゼロ・被災者支援 奈良のつどい」参加。
「いかにして原発を終わらせるのか?次の世代に何を送るのか?」というタイトルでスピーチさせていただきました。

さらに明日12日(火)は三重県伊賀市にある愛農学園高校にお招きいただいています。
在校生と先生方に「福島第一原発事故を振り返る~13年を経て見えてきたもの~」というタイトルでお話します。

他にも各地でさまざまな取り組みがなされています。これらを通じ、原発反対の思いを新たにして力強く進みましょう。
そのために奈良駅までのお話の動画をお送りします!30分です。ぜひご覧下さい。



能登半島地震と原発の関係について

以下、スピーチの内容について詳述します。まずは以下の点について話しました。

1,能登半島地震とひずみ集中帯地震
2,未然に防げた珠洲・志賀原発の大事故

ポイントは能登半島地震が、南海トラフ地震=西日本大震災に連動して起きている「ひずみ集中帯地震」だと思われること。
しかも2020年から群発地震が続いていて、より大きな地震の到来も予想されていたのにあまりに対策が手薄だった。その点で今回の被災には人災の面もあります。
いずれにせよひずみ集中帯地震はまだまだ起こる可能性がありますし、さらに西日本大震災、関東大震災、津島・日本海溝地震への備えが急務です。

同時に見ておくべきことは、今回の震源地の間近に珠洲原発が建てられようとしていたこと。珠洲の方たちを中心とした民衆運動でこれを阻んたこと。だから大事故を免れたことです。
計画が持ち上がったのは1975年。以来28年間にわたる奮闘のすえ2003年に計画が凍結されました。このことで日本社会は大きく救われました。このことを踏まえて能登の方たちを助けなくてはです。

さらに今回、志賀原発も激しく壊れましたが、なんといっても13年間止まっていて、熱量も放射能量もすごく低くで大災害にはならなかった。
私たちの再稼働反対運動が志賀原発を止めていたためです。私たちはこの点で日本社会を救ったのです。この点に誇りと自信を持ちましょう。


ひずみ集中帯の説明 ANN報道より


2022年6月の地震に際し大地震の可能性が報じされていた 20220620 チューリップテレビより


福島原発事故の新たな真実が明らかになった

続いてお話したのは、福島原発事故に関する驚愕の事実です。

3,『福島第一原発事故の「真実」』から
4,懸命の注水がメルトダウンを促進

ここでは『福島第一原発事故の「真実」』という今年の2月15日に刊行された書籍の内容を紹介しました。
NHKメルトダウン取材班が出したもので、ドキュメント編350ページ、検証編650ページの分厚い本です。
そこで格納容器の内部調査から、これまで考えられていた予想と実態が大きく食い違っていたことが明らかにされました。

「1、3号機はベントができたが2号機はできず、破局の手前だった」とこれまで捉えられてきた下が、調べてみたらなんと1,3号機の方が激しくメルトダウンしていたのです。
ポイントは注水にありました。なんとある条件下では、注水は核燃料を覆っているジルコニウムと水との化学反応を誘引し、高熱を発してかえってメルトダウンを促進させてしまうのです。
それを分からずに注水した結果、3号機こそが破局寸前に至り、2号機はそこまで壊れなかったのでした。

なお1号機はそもそも注水が全く行われず何日間も空焚きになってしまい、なんと格納容器下部に裂け目ができていました。
そして1,3号機はまったくの偶然によって大崩壊を免れたのですが、なんと1号機はどうして破局に至らなかったのか今もつかめていません。
これらから分かることはまだ過酷事故になった時の対処の仕方など、何もつかめていないということです。統御などできないのです。だから全ての原発はすぐに停めるべきなのです。



いかに原発を止めるのか

これらを踏まえて以下に原発を止めるのかについてお話しました。

5,現場の技術者は真実を知っている
6,被爆二世健康調査アンケートから


まず大事なのは、政府はGX会議などを経て、原発促進に舵を切りましたが、そんなもの、現実的な展望などないことです。すでに「夢の原発」とうたわれてアメリカで始まった小型モジュール炉計画の破たんが伝えられています。
「採算に合わない」というのが理由ですが、そもそもいまの軽水炉が原発の最新化型で、他の計画など過去にあったものに過ぎない。そしてその最新化型がメルトダウンを避けられないのだから原発は終わったコンテンツなのです。
このことを一番よく知っているのは実は現場の技術者です。マスコミを騙すことはできても、技術者は騙せない。だから現場はモチベーションもモラルもガタ落ちになっています。

それを証明する事例を二つ紹介しました。六ヶ所村の再処理工場に関するものと、大間原発に関するものです。
双方とも「安全審査書」が作られた時に、とんでもないミスがあり、取り下げられたのですが、そのありさまを見ているととても真剣に仕事をしているように思えません。「わざとミスをしたのか」と思えるような杜撰さです。
大事なのはこれらをそのつどきちんと捉えて発信していくこと!そうすれば必ず原発反対の声を再度大きくすることができます。

まだ同時に進めなければならないことは、被曝実態を明らかにしていくこと。
そのために僕が参加している京都「被爆二世・三世の会」で行ってきた健康調査アンケートのまとめについてお知らせしました。ぜひこれも活用していただきたいです。
とりあえずは守田のアドレスにご連絡いただければお届けできます。(morita_sccrc@yahoo.co.jp)





原発を止めるため、次々とパンフレット・動画をリリースします

7,『原発からの命の守り方2024』の活用を
8,「守田敏也の原発ウォッチ」の活用を
9,『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』の活用を
10,原発は必ず止められる!一緒に前へ!

そのため幾つかのお願いをしました。1つに今回のこの講演内容を『原発からの命の守り方2024』というパンフレットにするので活用して欲しいということです。
正確には『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年を踏まえて~』というタイトル。申し込みは以下からできます。
https://forms.gle/zAznq9s5gZneygWK8 (1部500円送料200円、3月20日発行予定)


2つにYouTube番組「守田敏也の原発ウォッチ」を立ち上げることをお知らせしました。
実際、この間、無理で愚かな再稼働がなされているので、毎週のようにどこかの原発でトラブルが起きています。それをその都度、きちんとおさえて報じます。頑張って毎週、リリースします!。

さらに『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』の活用をお願いしました。無料ダウンロード先と、冊子版申し込みフォームをここにも書いておきます。
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdKXBwKnFYkIvDdfEs3q9NhrFwqVxDe3BwNDeepaNaxylfXVA/viewform


原発を止めるため、みんなで一緒に前に進もう!

最後に締めくくりとして、みんなで原発を止めるために歩みを強めることを訴えました。
私たちはすでに21基の原発を廃炉にしています。原発輸出などすべて止めました。もんじゅも廃炉にしました。核燃料サイクルも風前の灯です。次は再処理工場を止めましょう。

大事なのは私たち民衆の力を自覚すること。自信と誇りを持つこと。それで前に進めば必ず原発は止められます。
頑張りましょう!


JR奈良駅前のデモ風景 20240310 守田撮影

#原発再稼働反対 #バイバイ原発京都 #原発ゼロ被災者支援奈良のつどい #いかにして原発を終わらせるのか次の世代に何を送るのか #福島原発事故13年 #能登半島地震 #志賀原発 #21基を廃炉に #原発輸出を全部止めた #愛農学園

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明日に向けて(2394)福島原発事故から13年、全国各地で原発反対の声を上げましょう!僕も京都・奈良の集会に参加します

2024年03月09日 11時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

明日に向けて(2394)福島原発事故から13年、全国各地で原発反対の声を上げましょう!僕も京都・奈良の集会に参加します

守田です(20240309 11:30)

● 大地震、原発事故から13年が経ちました

みなさま。あと2日で東日本大震災と福島原発事故から13年を迎えます。
大震災と大事故で亡くなられたすべてのみなさまに心からの追悼を捧げます。またたくさんのご苦労をなされてきたみなさまにお見舞い申し上げます。

福島原発事故は私たちに原発の恐ろしさを突きつけました。
その後の13年間、私たちは21基の原発を廃炉にし、原発輸出を全部止め、もんじゅの廃炉も実現してきました。

さらに廃炉にはっていないたくさんの原発の再稼働も食い止めています。
その一つ、志賀原発は2024年1月1日の能登半島地震で大きく被災しましたが、長く停まっていたため惨事にはいたりませんでした。私たちが大事故を食い止めたのです。

一昨年のGX会議以降、原発推進の流れが作られだしていますが、そんなもの、どれ一つとってもうまくなど行ってない。
原発に展望があるかのようにふるまっているだけで、やろうとしているのは老朽原発の運転延長だけです。

あまりにも危険で愚かで無展望な行為です。さらに脱原発の声を高め、原発廃炉を促進し、私たちの安全を、未来を守っていきましょう。


福島原発事故13年のつどいに参加を

この土日、そして3月11日、各地でさまざまは原発反対の行動が行われます。
僕は今日9日、これから「バイバイ原発京都」に参加してきます。
京都市円山公園音楽堂にて。13時開場、13時半開会です。

https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/02fd930e208306edc7e0ea616c6be168

明日10日は「原発ゼロ・被災者支援奈良のつどい」に参加してきます。
JR奈良駅前ににて。12時半開会です。
奈良集会では講演もさせていただきます。
「いかにして原発を終わらせるのか?次の世代に何を送るのか?」のタイトルです。

https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c80949855b7320d16648de145a1c9e2c

みなさま。
心を新たにして、脱原発へと邁進しましょう。
僕も京都市長選の後の充電期間を終えて、さらにエネルギッシュに歩みだします。
頑張りましょう!

#原発再稼働反対 #バイバイ原発京都 #原発ゼロ被災者支援奈良のつどい #福島原発事故13年 #能登半島地震 #志賀原発 #21基を廃炉に #原発輸出を全部止めた

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